2018年10月20日

ホテル・カリフォルニアへの長い旅

あらたにいただいた情報をふまえて追記しました。(2018年10月21日追記)
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2020年6月10日追記)
あらたにSP工場プレスのMatrix情報とジャケット情報をいただいたので追記しました。(2020年8月17日追記)
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2024年1月27日追記)


2年くらい前までは、US盤工場違いの聴き比べなんて足を踏み入れちゃいけない世界だと思っていたのに、いまのボクは、紙ジャケ探検隊がまき散らす感染力の強力なコレクターズ・ウイルスにすっかり侵されてしまっている。

US盤がオリジナルのレコードの場合、もちろん思い入れのあるレコードに限られはするが、どこがオリジナル工場なのかを突き止めないではいられない身体になってしまったのである(笑)

で、イーグルス(Eagles)の『ホテル・カリフォルニア(Hotel California)』だ。
いろいろ掘っているのだが、どこがオリジナル工場なのか、いまだにわからない。

そんなときは、いったん立ち止まって先輩諸氏からの助言をいただくのが得策である。
ってことで、これまでにわかったこと、推測(妄想? 笑)したことなんかを、とりあえずまとめてみることにした。

まずは基本的なところの確認である。
このレコードは1976年12月8日にアサイラム・レコ―ズ(Asylum Records)からリリースされたが、そのときのレコード番号は7E-1084だ。
数字が若いうえにDiscogsでは初盤と同じ1976年にリリースされたことになっているのでたまに混乱している人がいるが、手元のGoldmineによれば、6E-103は1977年の再発である。


20181020-1.jpg
日本初盤(ワーナー・パイオニア P-10221Y)とUSオリジナル(Asylum Records 7E-1084)3枚。手前は2011年DSDマスター使用の日本製SACD(ワーナーミュージック・ジャパン WPCR-14165)。


さて、では、工場違いの話に入ろう。
Discogsをみると、初盤である7E-1084は、レコード・クラブ盤をのぞいて、次の4つの工場でプレスされていることがわかる。

1. 東部ペンシルヴェニアにあるスペシャルティ・レコ―ズ(Specialty Records)―SP
2. 中部インディアナのリッチモンドにあるPRCレコーディング・カンパニー(PRC Recording Company)―PRC
3. 西部カリフォルニアにあるコロンビア・レコ―ズのサンタ・マリア工場(Columbia Records Pressing Plant, Santa Maria)―CSM
4. 西部カリフォルニアにあるPRCレコーディング・カンパニー(PRC Recording Company)のコンプトン工場―PRCW
(どこの工場でプレスされたかは、SP、PRC、CSM、PRCWという略号がレーベル上に明記されているので、すぐにわかる。)

PRCのコンプトン工場は75年12月にオープンしたばかりの工場で、76年12月リリースの初盤の時点でプレスを依頼していたかは疑わしい。
コンプトン工場はサンタ・マリア工場の後を受けてアサイラムの西部メイン工場になるところのようだし、Discogsを見るとコンプトン工場の盤はMatrix末尾8以降のようなので、77年以降に(多少重なっている期間があるかもしれないが)サンタ・マリア工場の後をうけてプレスを行った工場だと考えるのが合理的だと思う。

PRCのリッチモンド工場のほうは初盤からプレスしていただろうが、中部をオリジナル工場とする根拠はまったくないので、除外していいだろう。

残るは、西部CSM工場と東部SP工場である。


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東部SP工場産のレーベル


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西部CSM工場産のレーベル


アサイラムはもともと西部ロサンジェルスの会社だが、73年8月にニューヨークのエレクトラ・レコ―ズ(Elektra Records)と統合している。
しかも、統合後レーベル上に表記されるエレクトラ/アサイラムの住所は、当初はエレクトラのニューヨークの住所だったし、74年にはロサンジェルスの住所にかわるがその住所は元々エレクトラの西海岸オフィスのあったところである。

アサイラムは西部の会社だから西部CSM工場がオリジナルと考えるのが素直かもしれないが、アサイラム・レーベルでのリリースについても、エレクトラが強い影響力を及ぼしていたとすると、東部SP工場がオリジナルということも十分に考えられると思うのである。
エレクトラ/アサイラム内部のこの攻防こそが、オリジナル工場の確定を迷わせる最大の要因なのだ。
そして、ボクは現在、SP工場オリジナル説にかなり傾いているのである。
その理由は4つある。
一つずつ見ていこう。


その1 ジャケットの謎

ホテル・カリフォルニアのジャケットには、ほんのちょっと違っているだけだが、二つの種類がある。
裏ジャケ下部の住所表記の部分が違っているのだ。
一つはフォントが大きく(したがってその分長い)最後のワーナーロゴが小さいタイプ(タイプAと呼ぶことにする)で、もう一つはフォントが小さく(したがってその分短い)最後のワーナーロゴが大きいタイプ(タイプBと呼ぶことにする)である。

ボクの手持ちでは、CSM工場産の二枚がタイプAでSP工場産の一枚がタイプBだった。


20181020-2.jpg
上がSP工場産のタイプBで下がCSM工場産のタイプA


タイプAのほうはCalifornia 90069.とA Division ofの間にスペースがあるので、クレジット全体の長さと合わせると、遠目でもタイプAかタイプBかの判定は簡単にできる。
つまり、Discogsやオークションでの地引網調査ができる。
もっとも、地引網調査の過程で、ショップが出品しているオークションなどではジャケット写真の使いまわしもあることが判明したので、オークションでの確認については、使いまわしでないことが明らかなもののみに限定した。

地引網調査でボクが確認した限りでは、タイプAはCSM工場産にしかない。
SP工場産、PRC工場産、PRCW工場産は最初からタイプBのようだ。

西部も最終的にはタイプBになる(6E-103になると西部はPRCW工場産になるがすべてタイプBである)ことからすると、タイプAが初回ジャケットと考えることができそうである。

こういうときに参考になるのは日本盤だ。
ジャケの変更があったとき、日本には変更前のジャケットデザインが送られ、ずっとそれで製造されることがよくある。
ってことで、日本盤を見てみると・・・


20181020-3.jpg
一番下に日本盤を追加


ほらタイプAだ。

これでSP工場産もPRC工場産も最初はタイプAだったということなら、すんなり初回ジャケはタイプAということで問題解決なのだが、上記のようにSP工場産やPRC工場産にタイプAはなさそうなのである。
仮にあったとしても、さしあたり見つからなかったことからして、ごく初期のみで少数しか存在しないんだと思う。
しかし、はたしてこんな微妙なマイナーチェンジをリリース後にわざわざするもんだろうか?

※ツイッターでSP工場産の盤(マトは7E 1084 A-1 RE SP/7E 1084 B RE SPとのこと)がタイプAのジャケットに入っているものをお持ちだという情報をいただいた。
しかし、それがリリース当時に新品を買ったワンオーナーものだというのなら、ただちにSP工場産も最初はタイプAだったという結論が導けるが、中古で購入したものの場合、バカ売れしたレコードであるだけに中古レコード屋さんのところで入れ替えがあった可能性が否定できず、ただちに結論を導くことはできない。
SP工場産やPRC工場産も最初はタイプAだったという結論を導くためには、ある程度の確率でタイプAのジャケに入ったSP工場産やPRC工場産の盤が見つかる必要があると思う。
ってことで、そういう組み合わせのものをお持ちの場合は、ぜひ情報提供を御願いします。
(2018年10月21日追記)

※この記事のコメントで、SP工場プレスの盤でタイプAのジャケットに入っているものをお持ちの方から情報をいただいた。
リリースから間もない頃に、新品を購入したものだという。
ということは、SP工場プレスの盤も、最初はタイプAのジャケットに入っていたということだろうか?
もちろん、その可能性はあると思う。
もっとも、タイプAのジャケットに入っているSP工場プレス盤はほとんどみかけないから、仮に、SP工場プレスでも当初はタイプAのジャケットが使われていたとしても、本当にごく初期だけだったんじゃないだろうか。
しかし、ボクは、別の可能性を考えている。
というのも、今回の情報は、「日本に輸入盤として入ってきたもの」の情報だからである。
周知のように、当時アメリカから日本への輸入盤は西海岸から船便で届いていた。
つまり、当時日本に入ってきたのは基本的にCSM工場プレスの盤だったはずだ。
そこにSP工場プレスが混じるというのは、たぶん、CSM工場での生産量だけでは輸出に必要な量に到達せず、東海岸のSP工場から(場合によっては中部のPRC工場からも?)調達したということだろう。
盤とジャケットは別工場で製造するものだから、そのとき、盤だけをSP工場(あるいはPRC工場)から調達し、ジャケットは手許にあるものを使ったということも起こり得たんじゃないかと思うのである。
そんな風にして、タイプAのジャケットに入ったSP工場プレス盤が生まれたんじゃないだろうか。
真相はわからないが、あながち荒唐無稽な妄想でもないと思うのだがどうだろう?
(2020年8月17日追記)


文字フォントを小さくしてワーナーロゴを大きくするということ自体の意図はよくわかるし、最終的にタイプBに統一されていくことからしても、タイプBが完成型だと思うのだが、タイプAでのリリース後にわざわざ変更するほどのものとも思えないのである。

むしろ、初盤の時点ですでにジャケはタイプBってことに決定していたのに、西部にはそれが伝わらずにタイプAで製造してしまったと考えるほうが合理的な気がする。
つまり、この点の最終決定は東部で行われたんじゃないだろうか(下部のクレジットの細かい点なので、アーティストの意向を確認する必要性はなかったと思う)。

東部にジャケットについての最終決定権があったとすると、オリジナル工場も東部SP工場だったという可能性も否定できないと思うのである。


その2 Matrix末尾

Matrix末尾に目を向けてみよう。
手持ちのSP工場産は、7E 1084 A RE SP/7E 1084 B RE SPで末尾に数字はない。
CSM工場産のほうは、一枚が7E 1084 A-4 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSMで、もう一枚が7E 1084 A-10 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSMである。


20181020-6.jpg
SP工場産のMatrix。末尾がない。


20181020-9.jpg
CSM工場産のMatrix。マト4のほう。


どうも、最初に切られたラッカーがSP工場に、後で切られたラッカーがCSM工場にまわされたようにみえる。
ってことで、これまたDiscogsで地引網調査をしてみると、手持ちも合わせて次のようになっていた。
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2018年10月21日追記)
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2020年6月10日追記)
あらたにSP工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2020年8月17日追記)
あらたにCSM工場プレスのMatrix情報をいただいたので追記しました。(2024年1月27日追記)


SP工場
7E 1084 A RE SP/7E 1084 B RE SP
7E 1084 A RE SP/7E 1084 B-1 RE SP
7E 1084 A-1 RE SP/7E 1084 B RE SP(A-1の前には何か修正文字が入っているようだが不明)
7E 1084 A-1 RE SP/7E 1084 B-1 RE SP(A-1の前には何か修正文字が入っているようだが不明)
7E 1084 A14 -SP/7E 1084 B14 -SP

CSM工場
7E 1084 A-2 RE CSM/7E 1084 B-4 RE CSM(テスト・プレス)
7E 1084(7E 1028を修正消し後に追記) A-3 RE CSM/7E 1084 B-2 RE CSM
7E 1084 A-5(4を修正)RE CSM/7E 1084 B-2 RE CSM
7E 1084 A-4 RE CSM/7E 1084 B-4 RE CSM
7E 1084 A-3 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSM
7E 1084 A-4 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSM
7E 1084 A-5(4を修正)RE CSM/7E 1084 B-4 RE CSM
7E 1084 A-10 RE CSM/7E 1084 B-2 RE CSM
7E 1084 A-10 RE CSM/7E 1084 B-5 RE CSM
7E 1084 A-4 RE CSM/7E 1084 B-10 RE CSM

PRC工場
7E 1084 A RE-6 PRC/7E 1084 B-7 RE PRC
7E 1084 A-7 RE PRC/7E 1084 B-7 RE PRC
7E 1084 A-11 RE PRC/7E 1084 B-13 PRC

PRCW工場
7E 1084 A RE-8 PRCW/7E 1084 B RE-8 PRCW
7E 1084 A-11 RE PRC/7E 1084 B RE-8 PRCW


以上の情報から、Matrix末尾については、SP工場には無しか1、CSM工場に2から5、PRC工場に6と7がまわされたのだと思われる。

PRCW工場の8以降は(CSM工場の10、PRC工場の11や13、SP工場の14も含めて)追加カッティングなんじゃないかと思うんだがどうだろう?

先にカッティングされたラッカーをまわした工場が必ずしもオリジナル工場というわけではないとしても、SP工場にまわされた盤に末尾がないことはとても気になる。
SP工場の末尾無しのラッカーは、STERLINGのスタジオで最初に切られたもので、バンドのメンバーかあるいはプロデューサーのBill Szymczykがそこで聴いて承認したものなんじゃないか。

このアルバムのレコーディングは、マイアミとロサンジェルスで行われているが、最終的なミックス・ダウンはプロデューサー/エンジニアのBill Szymczykによってマイアミで行われている。
マイアミからマスターテープをもってニューヨークのSTERLINGスタジオに立ち寄ったBill Szymczykが、Lee Hulkoの最初にカットした末尾無しのラッカーを聴いて承認した。
うん、ありそうじゃないか。

もしそうだとしたら、そのラッカーでプレスしたSP工場こそオリジナル工場なんじゃないだろうか。

あらたにいただいたCSM工場のMatrix情報で、A面のマト3では、7E 1028が修正消しされた後に7E 1084が追記されていることが判明した。
7E 1028が最初に"Hotel California"に割り振られたレコード番号だったりすると、いろいろ推測できるのだが、調べてみると1975年にElektraからリリースされたDavid Gatesの"Never Let Her Go"のレコード番号なので、それが最初に"Hotel California"に割り振られたレコード番号だという可能性はないと思う。
"Hotel California"のカッティングと同時期に"Never Let Her Go"のリカッティングでも依頼されていて、間違えて刻んでしまったのだろうか?
でも、"Never Let Her Go"のオリジナルのカッティングはTMLで、STERLINGでリカッティングされた形跡も(少なくともDiscogsを見る限り)ないんだよねぇ・・・
ってことで、この修正がどういう経緯で行われたのかは、ちょっとわからない。

その3 Lee Hulkoのサイン

末尾なし盤が最初に切られたラッカーである可能性を示唆する事実がもう一つある。STERLING刻印に添えられたLee Hulkoのイニシャルだ。

Lee Hulkoがカッティングしたときは、STERLING刻印にLHのイニシャルが添えられる。
彼はBob Ludwigと違って律儀な人で、必ず両面にLHと彫る。
実際、このホテル・カリフォルニアもすべての面のSTERLINGにLHが添えられている。
ただ一つ、末尾無しのB面をのぞいて。

そう、SP工場のMatrix末尾無しのB面のみ、LHのイニシャルが彫られていないのである。


20181020-7.jpg
SP工場産A面のSTERLING刻印。LHのイニシャルが彫られている。


20181020-8.jpg
SP工場産B面のSTERLING刻印。LHのイニシャルが彫られていない。


この事実もまた、両面末尾無しのラッカーが最初に切られ、承認にまわされたものであることを示すんじゃないかと思うのである。

CSM工場産についてあらたにいただいたMatrix情報で、A面のマト5とB面のマト10についてLHのイニシャルがないことが判明した。
ってことで、この第3の根拠はみごとに崩されてしまった。
Lee Hulkoさん、きっちりした性格かと思ってたけど、案外うっかりさんだったのね(笑)
(2018年10月21日追記)


その4 エレクトラ勢力の拡大?

ボクがSP工場オリジナル説に傾く最大の理由が、実はこれである。
1976年に入り、エレクトラ/アサイラムにおけるエレクトラ勢力が拡大し、アサイラム・リリースに対するエレクトラ側からの影響力がかなり強まったのではないかと、ボクは考えている。

とはいえ、すでにずいぶん長い記事になってしまったし、この点についての説明はまた別の機会に譲ることにしよう。
まだ仮説を根拠づける証拠が十分にそろえられていないところもあるので、もう少し研究を進めてから記事にしたほうがいい気がしてきたし。


おっと忘れるところだった。
最後に、音質のことを少し。
うちのオーディオ・システムでの、あくまで手持ち盤の比較なので、あしからず。

以下、タイトル曲”Hotel California”で聴き比べた印象である。

ガキの頃から聴き馴染んできた日本盤は、個々の楽器の音色が鮮度感を欠いているうえに音場も平板で立体感がない。
CSMのマト10も日本盤ほどひどくはないが音色的には響きの豊かさを欠く。もっとも、音場には米西海岸らしい広がりが感じられるので、悪くはない。

しかし、CSMのマト4やSPのマト末尾無しがやはり飛びぬけている。
どちらも、個々の楽器の音色については響きが豊かで十分な鮮度感がある。
とはいえ、全体的な印象はかなり違う。

SPマト末尾無しは、個々の楽器の音色が明快で引き締まり、タイトに聴かせる。
CSMマト4は、個々の楽器の音の輪郭が微妙に甘くなるが、そのぶん、ふんわりと自然に音場が広がる。
これはもう、どっちが好みかの問題だし、システムによっても違うんじゃないかと思う。
しかもCSMには、ボクは聴いたことがないが、マト3(A面しか確認してないが。B面しか確認してないものではマト2もある。)がある。
いまのところSPとCSM甲乙つけがたしというのがボクの印象だが、マト3を聴いたら、もしかしたらCSMに軍配をあげるかもしれない。

あっ、そうだ。
SACDも悪くないよ(笑)
ラベル:eagles Lee Hulko
posted by 想也 at 17:28| Comment(39) | アナログ・コレクターの覚書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月12日

Caravan, In the Land of Grey and PinkのUKオリジナルとその周辺

<THE PARLOUR BANDに関する貴重な情報をいただいたので、追記しました。>(2018年10月7日)
<キャラバン『グレイとピンクの地』とダリル・ウェイズ・ウルフ『Canis-Lupus』に関する情報をいただいたので、追記しました。>(2018年10月12日)

キャラヴァン(Caravan)『グレイとピンクの地(In the Land of Grey and Pink)』のUKオリジナル初盤に関する記事を書いてから、すでに1年になる。
その後、新たにいただいた情報もあるし、別のレコードを掘ったり別の角度から調べてみたりして明らかになった事実もあって、少しばかり研究が進められた気がするので、このレコードとその周辺についてあらためて書いてみたい。

まず、『グレイとピンクの地』UKオリジナルの情報をまとめておこう。 ボクが所有している3枚に加えて、11枚分の情報をいただいたところまでは、随時更新して追加していたが、その後4枚分の情報をいただいている。
つまり、現時点で18枚分の情報になっているというわけだ。
(さらに1枚の情報が増えて、19枚分の情報になりました。2018年10月12日)
















































































































































レーベルSide1のマザー・スタンパーSide2のマザー・スタンパーCSの日付情報提供者
茶デラ小1 B1 UCSなしたっとんさん
茶デラ小1 U1 BCSなしハウさん
茶デラ小1 U1 C71年8月xxxeizoooxxxさん
茶デラ小1 C1 I71年4月オオヒラヒロモトさん
茶デラ小1 K1 UCS?71年特撮ピストルズさん
茶デラ小1 K1 U71年3月マイクさん
茶デラ小1 N1 UCSなし紙ジャケ探検隊さん
茶デラ小1 N1 U71年5月Rumblin' Boysさん
茶デラ小1 A1 CCSなし他力本願寺さん
茶デラ小1 G1 H71年9月Sawyer
茶デラ大1 BC1 M71年11月Neuさん
茶デラ大1 BC1 BUCS日付なしマイクさん
赤デラ小1 UB1 BI73年8月Sawyer
赤デラ小1 BU1 UU73年9月ハウさん
赤デラ小1 KC1 CA75年10月Rumblin' Boysさん
赤デラ小1 KC1 CA75年10月xxxeizoooxxxさん
赤デラ小1 IB1 IM76年3月Neuさん
赤デラ小1 IG1 KMCSなしSawyer
赤デラ小1 NN1 II78年7月Rumblin' Boysさん


この18枚分19枚分の情報を素直に読み解けば、『グレイとピンクの地』は、1971年4月に茶デラ小レーベルで初盤がプレスされた後、71年の暮れか72年の初頭には茶デラ大レーベルでリリースされ、さらに、72年中か少なくとも73年8月頃までには赤デラ小レーベルでリリースされたということになると思う。


少し角度をかえて、『グレイとピンクの地』から始まるDERAMのSDLシリーズに関する情報を見てみよう。

レコード番号、リリース年月、アーティスト、タイトルの基本情報は、Record Information ServicesのDERAMの下記ページを参照した。

http://www.record-information-services.info/uk_labels_discography/LPs/a-d/deram_LPs.html

レーベル・デザインの確認は手持ちで確認できたものもあるがそれはごく僅かなので、基本的にはDiscogsとebayで地引網チェックしたものである。
〇が存在を確認したもので、存在を確認していないものは空欄になっている。
(〇がついていないもので存在を確認できるという情報をお持ちの方は、ぜひお知らせください。もちろん、UK盤のみの話です。)





















































































































































レコード番号リリース年月アーティストタイトル茶小茶大赤小
SDL-R 1Apr-71CARAVANIn The Land Of Grey And Pink
SDL 2Apr-71KEEF HARTLEY BANDOverdog 
SDL 3Sep-71MILLER ANDERSONBright City〇   
SDL 4Oct-71KEEF HARTLEY BIG BANDLittle Big Band〇   
SDL 5Feb-72CHICKEN SHACKImagination Lady〇 〇 〇 
SDL 6Mar-72JERUSALEMJerusalem 〇 〇 
SDL 7May-72MELLOW CANDLESwaddling Songs 〇  
SDL-R 8May-72CARAVANWaterloo Lily 〇 〇 
SDL 9May-72KEEF HARTLEY BANDSeventy Second Brave  〇 
SDL 10Jun-72THE PARLOUR BANDIs A Friend?  〇 
SDL-R 11Jun-72KHANSpace Shanty  〇 
SDL-R 12Oct-73CARAVANFor Girls Who Grow Plump In The Night  〇 
SDL 13May-73KEEF HARTLEYLancashire Hustler  〇 
SDL 14May-73DARRYL WAY'S WOLFCanis-Lupus  〇 
SDL 15Feb-77JUSTIN HAYWARDSongwriter  〇 

※『グレイとピンクの地』のようにレコード番号にRがついているのは、"Restricted"を表すデッカ・コードで、(当該アーティストがその国で別のリリース契約をしているなどの理由で)特定の国々への輸出が制限されているレコードであることを意味する。

<xxxeizoooxxxさんからTHE PARLOUR BANDに関する情報をいただき、空白だった部分が埋まりました。―2018年10月7日>


このSDLシリーズの情報を素直に読み解けば、SDLシリーズにおいては、71年4月の『グレイとピンクの地」から72年2月のチキン・シャック(CHICKEN SHACK)"Imagination Lady"まで茶デラ小レーベルでリリース、72年3月のエルサレム(JERUSALEM)から72年5月のキャラヴァン"Waterloo Lily"まで茶デラ大レーベルでリリース、その後同月のキーフ・ハートリー・バンド(Keef Hartley Band)"Seventy Second Brave"以降は赤デラ小レーベルでリリースということになるだろう。

この情報は、『グレイとピンクの地』の情報と一致する。
したがって、SDLシリーズのレーベルの変遷は、次のように考えるのが合理的だと思う。

71年4月から(SDL-R1から)72年2月まで(SDL-5まで)―茶デラ小レーベル
72年3月から(SDL-6から)72年5月まで(SDL-R8まで)―茶デラ大レーベル
72年5月以降(SDL-9以降)―赤デラ小レーベル

このレーベルの変遷は、茶デラ・レーベルには、小レーベルでも大レーベルでも、DERAMロゴの右下にRマークがついていないという事実によっても補強される。

確かに、DERAMのシングルなどを見ると(調べやすかったのでWhite Plainsで調べた)、1971年の半ば頃にはRマークがつくようになるようだ。
しかし、LPでは、73年になってもRマークがついていないものが存在する。

ここにダリル・ウェイズ・ウルフ(DARRYL WAY'S WOLF)"Canis-Lupus"のUKオリジナルが2枚ある。

20181006-1.jpg

何故二枚あるかといえば、あるとき、そのとき持っていた盤について、Rマークが片面にしかないことに気づいたからである。
片面にしかないのなら、両面にないやつもあるんじゃないかと思って探してみたら、運よく発見したので買ってみたのだ。

20181006-2.jpg
20181006-3.jpg
<最初に買った盤のSide1にはRマークがないがSide2にはRマークがある。)


20181006-4.jpg
20181006-5.jpg
<両面ともRマークのない盤>

どちらもメインのMatrix末尾は両面P-1だが、片面Rマーク付きのスタンパーは1G/1H(CSの日付は73年5月)、両面Rマーク無しのスタンパーは1K/1Uである(CSではなく当時の汎用ISなので日付はない)。
このアルバムのリリースは73年5月なので、ごく初期の段階で、R無しからR付へと変更されたのだと思う。

(その後、1 BN/2B BGというスタンパーの盤が両面R付だという情報をいただきました。私の仮説と矛盾しないもので、一応補強証拠といえるかと思います。)

では、LPでは73年の半ばにR付きになったと言い切っていいかというとそういうわけでもない。
というのは、Rというのは登録商標マークであり、その登録は国ごとに行われるものだからだ。

商標登録が済んでいる国ではRマークをつけてよい(つけなくてもよい)。
商標登録が済んでいない国ではRマークをつけてはならない。
これが原則だったはずだ。

シングルは基本が国内向けなので、英本国で商標登録が済んでいればRマークをつけることができる。
LPでも、まったく輸出の予定がない完全に国内向けのものであればRマークを付けることができる。

しかし、輸出が想定されているLPは、輸出先のすべての国での商標登録が済んでいなければRマークをつけることができない。
"Canis-Lupus"で言えば、ドイツや北欧に輸出されることが想定されているから、これらのすべての国で商標登録が済んでいなければRマークがつけられない。

つまり、英国内の商標登録は71の半ばには済んだが、ヨーロッパ諸国における商標登録が済んだのは73年の半ばだったということなんだと思う。
ってことで、輸出の可能性があるLPは、73年半ばまでRマークがついていないのである。

茶デラの小にも大にもRマークがついていないのは、最初は英国内でも商標登録が済んでいなかったからだろうし、71年の半ばからは、輸出の可能性があったためにつけられなかったということなのだろう。

赤デラ小になったあとも、73年の半ばまではRマークなしでリリースされていたはずである。
つまり、Rマークがついた赤デラ小のレコードは、まったく輸出の予定がない完全に国内向けのものでなければ、73年半ば以降のプレスである。

そこで、一瞬慌てた貴方!
大丈夫、キャラヴァンの『夜ごとに太る女のために』は、レコード番号は若いけれど73年10月リリースなので、R無しレーベルは存在しない(はず)。


<追記>

記事をアップした後に気づいたことがあるので、ちょっと追記である。
キャラヴァンの『夜ごとに太る女のために』は73年10月リリースだからR無しレーベルは存在しないはずと書いたが、逆に、キャラバンの場合は、それ以前でもR付きレーベルしか存在しないかもしれない。

というのも、キャラバンはレコード番号に付されるR(同じRでややこしいが、商標登録のほうではなくデッカ・コードのほうね)が付く、輸出制限がかかったアーティストである。
ってことは、そもそもUK盤は「まったく輸出の予定がない完全に国内向けのもの」であった可能性がある。
実際、手持ちの赤デラ小には、ドイツや北欧の著作権管理団体の表示がない。
だとすると、72年5月頃に赤デラ小に変更になった直後からR付きでリリースされていたとしてもおかしくないということになる。
同じことは、KHANについても言える。

そんなわけで、KHAN, "Space Shanty"のUKオリジナルはR無しだとは言いません(笑)


<追記2>(2018年10月7日)

Discogsにもレーベル写真がなく、ebayにも出品がなくて確認できなかったTHE PARLOUR BAND, "Is A Friend?"について、xxxeizoooxxxさんから情報をいただいて、情報の空白を埋めることができた。

しかも、しっかりR無しレーベルで、ボクの仮説が裏付けられている。


The Parlour Band.jpg


KHANは、上述の通り、レコード番号にR付きの輸出制限のかかったアルバムなので初盤から登録商標を示すR付きレーベルだったかもしれない。
しかし、KEEF HARTLEY BANDの"Seventy Second Brave"、KEEF HARTLEYの"Lancashire Hustler"あたりについては、DiscogsでもebayでもR付きレーベルしか確認できなかったが、初盤はR無しレーベルだった可能性が否定できない。

というか、THE PARLOUR BANDのR無しレーベルの存在が明らかになったことによって、その可能性がますます高まったんじゃないだろうか。
posted by 想也 at 23:18| Comment(0) | アナログ・コレクターの覚書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月05日

Lindisfarne, Nicely Out Of TuneのUKオリジナル

<西の魔王教授が、プレーンジャケ初盤説を裏付ける補強証拠を発見してくれたので、追記しました。2018年10月5日>

先日、ツイッターのTLに、リンディスファーン(Lindisfarne)のUKオリジナルを引っ張り出してスタンパー確認をしているツイートが流れてきた。
こういうツイートを目にすると、「さて、うちのはどうだろう?」と気になるのは、コレクターの性(さが)である。
ボクも例にもれず、釣られてうちのを確認してしまった(笑)

結果は、UK盤だと思っていたらオランダ盤だったというのが一枚あってガックリした以外はそんなに悪くはなかったのだが、その中で一枚、両面1Gという大当たりがあった。


20180908-5.jpg


ファースト・アルバムの"Nicely Out Of Tune"(Charisma CAS 1025)である。
Matrix末尾は両面1Uだし、マザー/スタンパーは両面1Gだ。実に気持ち良い(笑)

ただ一つ、気になったことがあった。
ボクのもっているものは、そっけないシングルスリーブのジャケットに、真っ白のインナースリーブに入ったレコードが放り込んであるだけで、付属物は何もない。
歌詞インサートとかついてなかったんだろうか?

早速Discogsで調べてみたが、歌詞インサートがついていたというような情報はない。
胸をなでおろした瞬間、ボクの目にいやーな情報が飛び込んできた。

UKオリジナルはテクスチャー・ジャケットだって書いてあるのだ。

手持ちのそっけないシングルスリーブのジャケットは、背表紙の上端と下端がつぶれたいわゆる背絞りジャケではあるが、まったくテクスチャー加工はされていない。プレーン・ジャケである。
ってことは、両面1Gのくせに初盤じゃないってことか?
それとも、どっかで入れ替わったのか?

とりあえず、テクスチャー・ジャケットの盤を手に入れないことには始まらない。
ってことで、買ってみたものが、今日届いた。


20180908-1.jpg


奥(下)にあるほうが今日届いたものだ。
テクスチャー加工がわかるように近づいてみよう。


20180908-2.jpg


テクスチャーがわかりやすい写真をもう一枚。


20180908-6.jpg


確かに二つ並べると、どうにもテクスチャーがオリジナルっぽい。
とはいえ、テクスチャー加工をのぞけば、両者は、いずれもE.J.Day製でほぼ同じである。若干の色味の違いを個体差だとすれば、プレーン・ジャケのほうの紙が若干厚いというのがほとんど唯一の違いだ。
最初は特に加工せずにリリースしたが、その後セカンド”Fog On The Tyne"のヒットに伴ってファーストも売れ始めたときに、テコ入れ的にテクスチャー加工を加えたという可能性も否定できない気がする。

なにせ前月にリリースされたジェネシス(Genesis)の"Trespass"(リンディスファーンの"Nicely Out Of Tune"が1970年11月リリースで、ジェネシスの"Trespass"が同年10月リリース)との扱いの違いが、笑ってしまうほど歴然としているからである。

"Trespass"の初盤は、ポール・ホワイトヘッド(Paul Whitehead)のジャケットアートも見事な見開きジャケットで、表裏両面にテクスチャー加工が施された豪華なものであった。おまけに、歌詞インサートまで付属していた。

それに比べて、"Nicely Out Of Tune"は、いかにもお金のかかってなさそうなアートワークのシングルスリーブで歌詞インサートもついていない。
ここまで扱いが違うと、せめてテクスチャーぐらいは・・・というお情けなんて、リリース当初にはなかった気がしてくる。

予想に反してそこそこ売れたんで、セカンドにはそれなりにお金をかけて作ったら、これが大ヒット。
ご褒美にファーストもテクスチャー仕様に模様替えしてあげちゃった。
なーんて筋書きも、ありえない話ではないような気もするのである。
まぁ、妄想だけどね(笑)

ってことで、ボクとしては、テクスチャーなしのプレーン・ジャケが初盤という説も捨てきれないのだ。

両面1Gスタンパーの盤が入っていたのがプレーン・ジャケで、今回届いたテクスチャー・ジャケに入っていた盤のスタンパーは1O/2RMだったしね(Matrix末尾は、もちろん、どちらも両面1U)。

ちなみに、盤のほうは、これはもう明らかに1Gスタンパーの盤が初盤だと思う。
聴き比べると、まさにスタンパーの若さの差を実感することができる(笑)
仮にテクスチャー入りジャケが初盤ジャケだったとすると、うちのはどこかでジャケがすり替わったということだ。
ボクとしては、すり替わりはなかったと考えてるけどさ。

ちなみに、Charismaピンク・スクロール・レーベルは、この"Trespass"や"Nicely Out Of Tune"がリリースされた頃に微妙に変更されている。

二つのレーベルを見比べて、違いが発見できるだろうか?


20180908-4.jpg
<プレーン・ジャケ、両面1Gスタンパーの盤のレーベル>



20180908-3.jpg
<テクスチャー・ジャケ、1O/2RMスタンパーの盤のレーベル>
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ラベル:Lindisfarne
posted by 想也 at 22:56| Comment(0) | アナログ・コレクターの覚書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする