<この物語は、アナログレコードのオリジナル盤にまつわる話をのぞいて、(たぶん 笑)フィクションです。>
第1話 CARPENTERS, NOW & THEN
3
僕の話に納得したのか、それともまだ納得していないのかわからないが、心美はジャケットからレコードを取り出すと、レーベル面を見た。
「”Sweet Harmony”を伝えるもの・・・か・・・」
太字になったそのクレジットを、愛おしそうに指でなぞる。

「マニアックな話なんだけど、そのレーベル、文字通り『”Sweet Harmony”を伝えるもの』だったんじゃないかと思うんだ。」
なんだか、彩子の話をずっとしているうちに、丁寧な言葉遣いをすることが面倒になってきた。顔も彩子にそっくりだし、まぁ、いいか。
「どういうこと?」
心美のほうも、つられて同じ口調になっている。
僕は、カウンターの背後のレコード棚から4枚の”NOW & THEN”のうちの1枚を引き抜いて、ジャケットからレコードを取り出した。
「これが当時から持ってるやつ。”Sweet Harmony”がないレーベル。」

心美が二つのレーベルを見比べて、違いを確認している。あの日、彩子が見つけた答えの確認だ。それを見ながら、僕は、もう1枚の”NOW & THEN”を引き抜いて、ジャケットからレコードを取り出す。
「こっちは、”Sweet Harmony”があるんだけど、太字じゃないレーベル。他にもちょっと違うとこがあるんだけど、わかるかな?」

答えがわかっていたさっきと違って、あの日の彩子と同じように、今度は心美も真剣に見比べている。
「わかった! 母の持ってたものは、REPRISEのほうには”Sweet Harmony”がないけど、これにはそこにも”Sweet Harmony”がある!」
「正解。じゃ、これとさっきの”Sweet Harmony”がないレーベルとの違いはわかるかな?」
そう言いながらもう一枚のレコードを差し出すと、再び真剣に、心美は二つのレーベルを見比べる。

「前のはオリーブ色でこっちは茶色で色が違うし、このA&M RECORDSのロゴ?の大きさも違うね。」
「うん。じゃ、今度は、ここに刻んである文字を見てみて。最後のMとかPとかTとかのアルファベットと数字のところだけでいいから。」
僕はレコードの送り溝の部分を示す。慣れていないので、心美は送り溝の文字を読み取るのに悪戦苦闘していたが、それでも何とか読み取れたようだ。
「母のはT3で、最初のがM3、次のもM3で、最後のがP1かな?」
「このMとかTとかPっていうのは、どこの工場でプレスされたものかを示すんだ。Mはカリフォルニアのロサンジェルスにあったモナーク・レコード(Monarch Record Mfg. Co.)ってところでプレスされたもの。つまり西海岸。Pは、ニュージャージーのピットマンにあったコロンビア・レコードのプレス工場で、東海岸。Tは、インディアナのテレ・ホートにあったコロンビア・レコードのプレス工場で、中部。
レーベルの色は、西海岸のモナークだとオリーブ色で、ロゴも大きい。東海岸と中部のコロンビア工場でプレスされたものは、茶色でロゴも小さい。」
「ちょっと待って。母のは、テレ・ホート工場なのにオリーブ色でロゴが大きいんだけど。」
「そうなんだ。だからさ、まさに、”Sweet Harmony”を伝えるためにモナークからテレ・ホート工場に送られたレーベルなんじゃないかと思うんだ。ここが変更になりますよって。REPRISEのほうに追加するのは忘れちゃってるけど。
整理するとね。最初は、どこの工場も”Sweet Harmony”がないレーベルでプレスされていたと思うんだ。だから、”Sweet Harmony”がないのがファースト・プレス。A&Mは西海岸の会社だから、モナークがオリジナル工場のはずなんで、モナークの”Sweet Harmony”なしがオリジナル・ファースト・プレスってことになるかな。で、あるとき、”Sweet Harmony”を追加しないといけなくなった。それを各工場に伝えたんだけど、このB面て曲数も多いしクレジットが多いでしょ。どこにどう追加すればいいのかわからないっていうような問い合わせでも来たのかもしれない。それで、オリジナル工場のモナークで、修正箇所の”Sweet Harmony”を強調して太字にしたものを作って、とりあえずこれでプレスしてくれって、テレ・ホートとピットマンに送った。ピットマンでプレスされたレコードにも同じレーベルが使われているものがあることは確認されてるんだ。これがセカンド・プレス。彩子のもってたやつはこれ。そして、最終的にはどこも、それぞれの工場固有のレーベルで1曲目の”YESTERDAY ONCE MORE”にも最後のREPRISEにも”Sweet Harmony”が入ったものを作ってプレスするようになった。これがサード・プレス。」
そこで、僕は最後の一枚のレコードを取り出した。

「で、これが放送局にプロモーション用に配ったレコードで、モナークでプレスされたもの。レーベルは白いけど、書かれているクレジットは、さっきのオリジナル・ファースト・プレスと同じでしょ?」
夢中になってしゃべっていたので気がつかなかったが、心美は何か不思議な動物を見るような目で僕を見ていた。そりゃそうだ。いきなりこんなマニアックな話を聞かされれば、誰だって引く。僕は激しく反省した。
わかりやすくしょげている僕を見かねたのか、僕の手から白いレーベルのプロモーション盤を受け取り、「へ~」と言いながら、あたかも興味があるかのように見せかけて、心美は盤を眺めた。そういうとこ、彩子にそっくりだ。
「あれ?これってほかの盤と違って、区切りがあるんだね。」
「そうなんだ。このB面て”YESTERDAY ONCE MORE”とそのREPRISEに挟まれる形でオールディーズのメドレーをラジオ放送に見立ててつなげてあるでしょ?だから通常盤はバンドが切ってないんだけど、それだとラジオ局でメドレーの中の曲をかけたいときに探せなくて困るから、バンドを切ったバージョンを作り直したんだと思うんだ。」
わかりやすく立ち直った僕を見て、心美が笑った。

「これ、聴かせて。ラジオ局に配られたプロモーション盤で、このB面、聴いてみたい。」
そう言う心美の顔が、あの頃の彩子の顔にだぶった。
ラックスマンのプリメイン・アンプの電源を入れる。それから、レコードをノッティンガムのターンテーブルに載せ、ゆっくりと手でまわし、電源を入れる。そうして、オルトフォンのカデンツァをゆっくりと盤におろす。
♪ When I was young
♪ I'd listen to the radio
♪ Waitin' for my favorite songs
♪ When they played I'd sing along
♪ It made me smile
カレンの優しい歌が、JBLから流れ出し、空間を満たしてゆく。A&Mスタジオの名エンジニア、バーニー・グランドマンの腕が冴えわたったサウンドが素晴らしい。
そっくりな顔が目の前にあるからかもしれない。彩子との記憶が溢れ出す。
心美の言うとおり、彩子は、このレコードと僕の写真を大切にしていたんじゃないかという気がした。いま考えれば、彩子が僕の気持にまったく気づいていなかったとも思えない。自分のことをずっと好きでいてくれた人がいたこと、その思い出は、彩子にとって、辛い時の心の支えになったこともあったんじゃないかという気がした。もしそうだとしたら、僕の9年間の片想いも報われる。
それにしても、30年近くも経ってから、思い出の洪水に溺れそうになるとは思わなかった。
「わたし、魔法使いだから。」
そう言って笑う彩子の顔が浮かんだ。
「魔法使いだったら、車にはねられて死んだりするなよ・・・」
ふっと浮かんだ彩子の笑顔に向かって、僕は心の中でそう呟いた。
ラベル:CARPENTERS