2019年07月29日

1984年3月

何故1984年3月に思いを馳せるのか?

それは、このレコードを入手したからである(笑)


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IN-STORE SAMPLERということは、レコード・ショップ店頭でのデモのために作られたものだろう。

レーベルを見ればわかるが、収録曲は下記の通り。

A1 Queen, Radio GaGa
A2 Thomas Dolby, Hyperactive
A3 Missing Persons, Give
A4 Duran Duran, New Moon On Monday
A5 Felix Slatkin, Olympic Fanfare
B1 Tina Turner, Let's Stay Together
B2 April Wine, This Could Be The Right One
B3 Re-Flex. Hit Line
B4 Dear Enemy, Computer One
B5 Queen, Tear It Up


クイーンで始まり、クイーンで終るのは、"The Works"がリリースされたばかりだったからだろう("The Works"のリリースは、1984年2月27日)。
”Radio GaGa”は、アルバム収録バージョンではなく、先行シングルとして2月7日にリリースされていた7インチ収録のショートバージョン(US radio edit)なのがうれしい。

A5は、夏のロサンゼルス・オリンピックに向けてのものだろうな。

トーマス・ドルビー、デュラン・デュラン、Re-Flexといったブリティッシュ勢に、ミッシング・パーソンズを加えれば、半分がニュー・ウェイヴで、まさに時代を物語っている。

1984年3月といえばボクはまだ20歳の大学生、このあたりのニュー・ウェイヴがBGMで流れているレコード店で、プログレを掘ってた青春時代が甦るのである(笑)

送り溝の"MASTERED BY CAPITOL"の刻印は見慣れたものだが、隣のサインは初めて見た気がする。


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Disicogsで探してみると、どうやら、"ES"らしく、当時のCapitol Masteringのエンジニア、Eddy Schreyerのサインだと判明。
ということで、メモ代わりに。
(将来、何がどう役に立つかわからないので、調べたことはメモしておくのです 笑)
ラベル:DURAN DURAN Queen
posted by 想也 at 00:00| Comment(0) | 思いを馳せる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月09日

To Five Spot

水曜日の夕方、仕事が終わった後時間が作れたので、レコード・ショップに行った。
そこで、「書き込み」ありということで、このレコードが叩き売られていた。

ジョー・ザヴィヌル(Joe Zawinul)が1971年にリリースしたこのレコード、まぁ、美品でも高いレコードではないんだが、少なくともこの「書き込み」のせいで、ジャケットの状態がかなり悪いものと評価され、それが販売価格に反映しているように思われた。


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このレコードのUSオリジナル盤(Atlantic SD 1579)には、ジャケットにラミネート・コーティングが施されたものも存在するが、今回ボクが入手したものにはコーティングはない。
では、このレコードはファースト・プレスではないのかというと、そんなことはないと思う。

確かに、ファースト・プレスにはコーティングが施されたものも存在するが、どうもPR工場産またはRI工場産のもののようである。
しかも、PR工場産やRI工場産では、1973年のRockefellerアドレス・レーベルになってもコーティング・ジャケットだ。

一方、ボクが今回入手した盤は西海岸のMO工場産だが、Broadwayアドレス・レーベルである。
MO工場産は、最初からコーティングがなかったんじゃないかって気がしてくる。


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それに、このカンパニー・スリーブだ。


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SD 1570までしか載っていない。
ファースト・プレスのときに付属していたものに間違いないと思う。
(まぁ、CSは入れ替えられてる可能性もあるんだが 笑)
やはり、MO工場産のファースト・プレスは、コーティングがなかったんじゃないだろうか。


さて、問題は、この「書き込み」である。
すでに気づいている方も多いと思うが、おでこの文字は”Josef Zawinul”と読める。
ネットでザヴィヌルのサイン画像をいろいろ見てみたが、このサインはホンモノで間違いない気がする。

それに、サインの前に書かれているのって、これ、”To Five Spot”だよね?
Five SpotというとNYのジャズ・クラブがすぐに思い浮かぶが、1967年にはすでに閉店しているから、このレコードがリリースされたときには存在していない。

ほかにファイブ・スポットと言えば、思い浮かぶのは、そう、ジャズ評論家のいソノてルヲさんが自由が丘でやっていたジャズ喫茶(夜はライブも行われていたという)だ。

当時ファイブ・スポットで演奏していたというジャズ・ベーシスト鈴木勲さんのインタビュー記事が下記URLで読めるが、そこには、いソノさんが「来日した海外のミュージシャンを自分の店によく連れてきてご飯を食べさせたりして」いたとある(鈴木勲さんは、いソノさんが連れてきたアート・ブレイキー(Art Blakey)に見染められて渡米することになったそうだ)。

https://www.shibuyabunka.com/keyperson/?id=134

ザヴィヌルは、1972年にウェザー・リポート(Weather Report)のメンバーとして来日している。
そのとき、いソノさんがザヴィヌルをお店に連れてきてご飯を食べさせ、記念に所蔵レコードにサインをしてもらったんじゃないかとか、想像は膨らむのである。

レコードの左下隅には、整理番号のステッカーが貼り付けてあって、いかにもジャズ喫茶の所蔵レコードらしい。


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左上隅についている赤い丸は、おススメの印?

やはり、このレコードは、ファイブ・スポットにあったものなんじゃないか。
客のリクエストに応えて、ザヴィヌル来店のときの話をしながら、いソノさんが幾度となくターンテーブルに載せたものなんじゃないか。

そんな風に、一度も行ったことのないファイブ・スポットに思いを馳せながら、ボクもこのレコードをターンテーブルに載せるのである。
ラベル:Joe Zawinul
posted by 想也 at 20:35| Comment(0) | 思いを馳せる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする