2022年11月05日

『SONG IS LOVE』のファースト・プレス

11月3日って「レコードの日」だったのね。
例年あまり食指が動くリリースがないので、まったく気にしてなかったよ・・・
どうせ今年もないだろうと思いつつチェックしたら、玉置浩二さんの『CAFE JAPAN』が初アナログ化されてるじゃん!
「これは欲しいかも。」と思ったのだが、すでに販売終了のようだ(涙)
まぁ、いいか。
『メロディー』はものすごく好きだが、アルバム全体としてはそれほどでもないし。
シングルのアナログ化なら絶対に欲しいけどさ。
そんなこんなで、11月3日の「レコードの日」については、結局、何も買わずに終わったのであった(笑)

「レコードの日」の話はこのぐらいにして、本題にうつろう。

オフコース『SONG IS LOVE』(EXPRESS/東芝EMI ETP-72212)については、以前記事にしたことがある(https://sawyer2015.blog.ss-blog.jp/2019-11-10 をご覧ください。)が、そのときには1977年5月プレスの盤までしか手に入れていなかった。
このレコードの発売日は1976年11月5日なので、発売から半年以上後のプレスである。

その後しばらくして1977年2月プレスを手に入れたが、なおも諦めずに探し続け、やっと発売日前月の1976年10月プレスを手に入れることができた。
って、2年ほど前のことなんだけどね。
そのときは、記事にしようと思っていたのに、つい忘れてしまったのである(こういうことは、ものすごーく頻繁にある 笑)。

先日、急に寒い日があって、いよいよ秋も深まり出したなぁと思ったら『冬が来るまえに』が聴きたくなり、ついでに、『SONG IS LOVE』のファースト・プレスについて、まだ記事にしていないことを思い出したのであった。

で、記事にしようと思ったのだが、どうせならリリース記念日に書こうと、今日まで待っていたのだ。

すでに書いたように、うちには、『SONG IS LOVE』が4枚ある。


20221104-1.jpg


以前から持っていた1981年8月プレス(帯付き)のどレイト盤と1977年5月プレス(帯無し)は上(奥)の二枚、あらたに手に入れた1977年2月プレス(帯付き)と1976年10月プレス(帯無し)は下(手前)の二枚である。

ジャケットの色味が、上の二枚は緑が強いというか明るめというか、むしろ下の二枚が暗めというか、そんな感じなので、初期のほうが暗めで、レイトのほうが明るめという違いがあるのかもしれないが、定かではない。
帯の色も、初期の方が白っぽいが、これも定かではない。
いずれも写真だと差が小さく見える。
つまり、実物は写真以上の差がある。

問題はマトである。
初回も2S/2Sだったのか、それが最大の問題だ。

まず、1977年2月プレスのマトは、2S 18/2S 24だった。

そして、1976年10月プレス(発売日前月プレス)のマトは、2S 5/2S 3だった。


20221104-3.jpg
(1976年10月プレスなので、PMは6-Xだ。)


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(Side 1のマトは、2S 5である。)


20221104-5.jpg
(Side 2のマトは、2S 3である。)



ってことで、このレコードの初回マトは2S/2Sで間違いないと思うのである。

それにしても、スタンパー・ナンバー3で聴く『冬が来るまえに』から『歌を捧げて』の流れは格別だ。
くぅ~たまらん!
ラベル:オフコース
posted by 想也 at 00:16| Comment(0) | オフコース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月04日

緑の日々

今日のTLは「みどりの日」にちなんだレコードで溢れかえっていたので、ボクもそういうレコードを引っ張り出した。


20220504.jpg


オフコースの『緑の日々』(ファンハウス 07FA-1011)である。
タイトルが『緑の日々』のうえに、初回限定盤はグリーンのクリア・ビニールときている。
これ以上、「みどりの日」に似つかわしいレコードはないだろう(笑)

画像に目を凝らせばわかるかと思うが、ボクが持っているのは、レーベル上に「見本」と印刷された見本盤である。
しかし、PMこそ4-8と前月プレスを示している(発売日は1984年9月21日)が、スタンパーのほうは1S 16/1S 32とかなり進んでいる。
Side 1の16でもかなりのものだが、Side 2の32って何さ?
まぁ、1984年のオフコースも無敵だったからなぁ。
膨大な予約のために通常盤(初回限定盤)プレスがかなり先行したんだろうな。

それはそうと、この『緑の日々』という曲、いろんな意味で思い入れがある。

この曲がヒットしたのは、ボクが大学生だった頃のこと。

     ♪ 君となら 生きてゆける
     ♪ 君の為に 僕が生きてゆく
     ♪ まるで君が 望むような
     ♪ 僕には なれないかも 知れないけど

その頃は、確かに、恋の歌にすぎなかった。

この歌がボクにとって恋の歌ではなくなったのは、ユウと二人で生きていくことを決めたときだ。

     ♪ 君のために 強くなる
     ♪ 僕には もう なんの迷いもない
     ♪ 何も 恐れないで
     ♪ 今はすべてを 僕に任せて

あれからもう24年。
あの頃に比べたら、ボクも、だいぶ強くなった・・・んじゃないかな?(笑)

ユウとの日々は、まさに緑の日々なのだ。

そういえば、「緑の日々」と題した記事を書いたことがあったな。
ついでなので、リンクを貼っておこう。

https://sawyer2015.seesaa.net/article/2016-08-21-1.html
ラベル:オフコース
posted by 想也 at 20:49| Comment(0) | オフコース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月25日

『やさしさにさようなら』すると・・・

<mat-mat-matさんからの情報に基づいて、修正の必要が生じたので、追記しました。>(2021年4月25日19:00)

『やさしさにさようなら』すると、当然、やさしくなくなるのである。
つい最近手に入れた、この二枚のレコードも、ボクに厳しい現実を突きつけた(大袈裟だっちゅうの 笑)やさしくないレコードなのだ。


20210425-1.jpg


東芝EMI見本盤についてCal De Rさんがまとめられていた(https://ameblo.jp/caldermusic/entry-12670197230.html)ように、1978年12月頃を境に、それまでの見本盤のPMにはKやWやGがつくが、
それ以降の見本盤のPMにはつかない。

具体的には、78年7月20日発売の『あなたのすべて』(オフコース)の見本盤は8-6G、78年8月2日発売の『LADY』(甲斐バンド)の見本盤は8-7Wまたは8-7WG、78年10月20日発売の『約束』(チューリップ)の見本盤は8-XWとWやGがつくが、78年12月20日発売の『HERO(ヒーローになる時、それは今)』(甲斐バンド)の見本盤は8-Y、79年1月20日発売の『愛を止めないで』(オフコース)の見本盤は8-ZとWやGがついていない。

PMにKやWやGがつくのが川口工場プレスだとすると、見本盤にKWGがつかなくなったのは、78年11月頃には川口工場は閉鎖されて、12月リリースの見本盤からは、御殿場工場のみでプレスされるようになったからだと、ボクは思っていた。

ザ・ビートルズ完全日本盤レコード・ガイドというサイト(https://ameblo.jp/bp-jrg/entry-12504720764.html?frm=theme)の推測でも、「79年4月発行の『東芝の洋楽番号順総目録』巻末の事業所一覧には御殿場工場しか掲載されていません。従って、77年から79年までの間に閉鎖されたと推測できます。」とされていた。
川口工場の閉鎖を78年11月と考えて、何の矛盾もない。

しかし、『やさしさにさようなら』の通常盤には、こんなPMが刻まれているのである。


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09-YG1というのは、まず9-YGというPMで79年11月にプレスにまわされたスタンパーが、再度80年1月に使用されてプレスされたものであることを表している。

つまり、PMにGが付いているのが川口工場プレスだとすれば、川口工場は、少なくとも79年11月までは稼働していたことになる。
仮説を覆す厳しい現実を突きつける『やさしさにさようなら』通常盤なのである。

やさしくないなー(笑)

もっとも、ボクの知る限り、78年12月発売のシングルの見本盤からはWやGがつかなくなるのは事実なので、78年11月から、川口工場は休眠状態(稼働させようと思えば稼働できるが、通常は稼働していない状態)になった可能性はある。


『やさしさにさようなら』は、通常盤のみならず、見本盤もやさしくない。
この見本盤には、PMがないからである。

『やさしさにさようなら』は、『愛を止めないで』の二つ前のシングルで、78年4月5日に発売された。
見本盤は、当然、78年3月にプレスされたものと思われる。

PMのない見本盤が御殿場工場プレスだとすると、少なくとも78年3月までは、御殿場工場では見本盤にはPMを刻印していなかったことになる。
上述したように、78年11月のプレスからは見本盤にもWやGがつかないPMが刻印されるようになる(甲斐バンドの『HERO』)ことから、御殿場工場でも見本盤にPMを刻印するようになったと考えられるのだが、問題は、それがいつからだったのかということだ。

Cal De Rさんの記事の後、ツイッター上でいろいろ情報交換をしたのだが、そのとき、ささも教授が、『そばかすの天使』(77年9月5日発売)のマト1S1見本盤にはPMがあって、7-8と刻印されているという情報を提供してくれた。
画像も提供してくれたので、掲載しておこう。


そばかすの天使見本盤PM.jpg


PMにKやWやGが付いていないのが御殿場工場プレスだとすると、77年8月時点で、御殿場工場でも見本盤にPMを刻印していたということになる。

この情報に触れたときには、ボクは、そういや甲斐バンド『氷のくちびる』(77年5月5日発売)の見本盤にはPMがなかったなということしか思い出せなかった。
その後、オフコース『秋の気配』(77年8月5日発売)の見本盤にもPMがなかったことを思い出した。
これのプレスは、77年7月だろう。

以上の情報を総合すると、御殿場工場で、見本盤にはPMを刻印しないという運用だったのは77年7月までで、77年8月からは、御殿場工場でも、見本盤にもPMを刻印するようになったということになる。

あースッキリしたー

と、思ったのも束の間・・・

所有盤のデータベースを眺めていたら『やさしさにさようなら』の見本盤の情報を発見してしまったのであった。
上述したように、『やさしさにさようなら』は、78年4月5日に発売されたものだから、その見本盤は、当然、78年3月にプレスされたものと思われるわけで、そうすると、これにPMがないということは、御殿場工場では、78年3月時点でもまだ、見本盤にはPMを刻印していなかったということになる。

辻褄が合わないだろー

この矛盾を解消するためには、①『やさしさにさようなら』の見本盤は御殿場工場プレスだが、PMを刻印しなきゃいけないことになっていたのに忘れてしまったか、あるいは、②ささも教授の『そばかすの天使』は、実は川口工場プレスだが、WやGの刻印を忘れてしまったかしか考えられない気がする。

①であれば、御殿場工場で、見本盤にもPMを刻印するようになったのは77年8月で矛盾しない。
②であれば、御殿場工場で、見本盤にもPMを刻印するようになったのは78年4月以降(はっきりと言えるのは78年11月以降)で矛盾しない。

※mat-mat-matさんから、78年10月5日発売のオフコース『FAIRWAY』の見本盤がPM8-9だよーという情報をいただいた。
これは持ってないのだが、発売日が同じ甲斐バンド『誘惑』の見本盤は持っている。これまた、PM8-9だ。
ってことは、②であれば、御殿場工場で、はっきりと見本盤にもPMを刻印するようになったと言えるのは78年9月以降ということになり、2か月ほど遡ることになる。
mat-mat-matさん、ありがとうございましたー

どちらが真相なのか、あるいは、真実は他にあるのか、ボクにはまだわからない。

さらに厳しい現実を突きつけた『やさしさにさようなら』見本盤なのであった。

やさしくないなー(笑)
ラベル:オフコース
posted by 想也 at 18:59| Comment(6) | オフコース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする